8年目の福島浪江町から


東日本大震災から8年を過ぎたこの度、私の所属する再生エネルギーの勉強会で福島視察に行ってまいりました。

福島視察は、3年前に行って以来2度目の視察です。



汚染した表土が詰め込まれたフレコンバッグは、当時とほとんど変わらず野積みされたまま

行き場のなさを物語っていました。



そして浪江駅前

帰宅困難地域の指定は解除され車はみかけるものの、人通りはない状態でした。

ガイドの方によれば、震災前21000人いた住民の内、実際に帰宅されたのはまだ1000人程度しかおらず、そのほとんどが高齢者だそうです。

未来を担う子ども達が帰ってくるには、程遠い現状でした。



建物の解体も少しずつ進んでおり、駅前通りの病院もすっかりとさら地となっていました。



田畑は、依然担い手もおらず、耕作放棄状態



ガイドの志賀さんです。


志賀さんからは、メディアでは伝えられていない被災時の混乱や、今も残る被災者の心の闇、風評被害など、赤裸々にお話を頂きました。


志賀さんご自身も、昨年ようやく仮説住宅から新しい住居へ入ることができ、ようやく震災以来出せずにいた年賀状を送る気持ちになれたとお話頂きました。


繰り返し仰られたのは


こんな思いをするのは私だけで充分。ここにいるみなさんには、こんな思いは絶対にしてほしくないと。

原発は絶対に安全だと言われ、それを信じてきた、人間の思い上がりに恥ずかしい思いでいっぱいだと

志賀さんは続けました。
町を潤してきた原発マネーはたったの40年だった

事故から8年

その代償はあまりにも大きく、取り返しのつかない現実が福島にありました。





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